(※ 写真は15歳の時の私)
富谷市・仙台市泉区・太白区秋保で空手教室を開いています。
🥋 小幡カツヒロ空手放浪記
【 其の四 】
小学校時代の帰り道。
山道を通って帰るのだが
ある日、男のけたたましい気合の入った声が山にこだましていた。
少年の私は恐る恐る声のする方向へ歩いていくと、山の木の枝にトラックのタイヤをロープで吊るして足のスネで全力で蹴っている男がいた。
その出で立ちは上半身裸、下は空手ズボンにボロボロの黒帯を締めて 「 エイッ、エイッ」と
ひたすらタイヤを蹴っていた。
その男は筋骨隆々、拳には拳ダコ。
気合いを入れながらその男は大声で叫んでいた。
「 俺は輝く日本の星になる! 」
私は子供心にもその男に惹かれ、興味を持った。
そして小学校の下校時間。
毎日のようにその男を見に行った。
もちろん、いない時もある。
週3日から4日はいたけれど。
ある日、小学生の私は
「 おじちゃん、かっこいいね! 」
と話しかけた。
彼はニコリとして持っていた缶コーラを私にくれた。
私は彼に言った。
「 僕も空手やってるよ! 」
彼は答えた。
「 そうか、坊主頑張れよ! 」
と言ってくれた。
その一瞬をいまだに私は鮮明に覚えている。
その時、私にとって彼は
身近にいるスーパーヒーロー・
憧れの存在でありました。
しかしそんな、少年にとって幸せな時間は長くは続かなかった。
出会って約1年過ぎたあたりから、パタリと空手おじさんの姿は見えなくなった。
少年は考えた。
そういえば、一番最後に
空手おじさんと会った日、
空手おじさんから近くのお好み焼き屋さんに連れていかれ、
お好み焼きをごちそうになった。
食べ終わると、いろんな空手の話をしてくれた。
「 そうか、空手おじさんにとつてあれが僕への別れのあいさつだったんだ。 」
少年は理解した。
強烈な少年時代の思い出である。
彼から色々学んだ少年時代、
空手おじさんの強くて優しい澄んだ目、思いやりのある心。
強さだけではなく、他者を思いやる心を学んだ。
それ以来、空手おじさんとは二度とお会いすることはなかった。
今になって思い出す彼の人物像。
それは
大会に出場しなくても、
世間からチヤホヤされなくても、
目立たす地道に、
謙虚に空手の技をひっそりと磨いていた男であった。
影での努力の大切さを教えていただいた、少年時代の心の師匠であった。
2024/8/25(日)
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